長崎の夏の空は美しくそして少し悲しい。それは間違いなく毎年訪れる原爆投下の日8月9日があるから。小さな頃から見てきた大人たちが黙祷をする姿。それは長崎で育った僕に「平和」への意識を自然と根付かせたように思う。長崎へ戻ってきた今年は必ず出席しようと決めていた「被爆77周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」決めていたはずなのに、朝起きると行くかどうか迷っていた。自分が参加することに意味があるのか?黙祷は家でもできるし、今までもそうしてきたし、、携帯を見ると準備を始めないといけない時間。あーだこーだと考えていると「ダッチ!(1歳の娘の言葉で「ダディ」のはず、、)」と娘が勢いよく部屋に飛び込んできた。「遅れるよ」遅れて妻の声。もちろん、行こう。
大きな事件の後という事もあって会場の平和公園は警察、SP、スタッフが大勢配置されて、厳戒態勢を敷いていた。堂々と(つまり内心恐る恐る)入場券を見せて公園へ入る。エスカレーターを登っていくといつもとは違う「正装」の平和公園。大きな白いテント。整然と並べられた献花。参列者も白いシャツに黒のパンツが多い。持ち物検査のゲートを抜けて、まずは撮影しようと前から決めていた写真を撮影。

世界へ願いを込めて、Twitterの予約機能を使い11:02に「Believe in human from Nagasaki 2022.8.9」とこの画像を載せてツイート。文章を考えながらアメリカへ留学していた時の事を思い出していた。
長崎の高校を卒業して、映像を学ぶためアメリカのモンタナ州というのどかな場所へ留学をしていた時のこと。大学のある町は人口の90%以上が白人だったのでアジア人は珍しく、初めて会う人には必ずと言っていいほど「Where are you from?」(どこから来たの?)と聞かれていた。僕は長崎出身であることに誇りを持っていたので「Nagasaki, Japan」(日本の長崎)と常に答えていた。その後に続く会話は「日本?遠いところから来たね。」や「日本?いいね。アニメ好きだよ。」それで良かった。自分もそう考えていた。
そんなある日Jayという照明技師をしているアメリカ人に出会った。いつもの会話の流れで「Where are you from?」と聞くJay、僕はいつものように「Nagasaki, Japan」と答える。それを聞いてJayは真顔になり「Sad history」(悲しい歴史だね)とポツリとつぶやく。その時気づいた、僕はこの言葉をずっと心の中で待っていたんだ。今でも忘れない7年間のアメリカ生活の中で最高の出来事。
式典は厳かに進み合唱もスピーチも素晴らしかった。けれども本音を書くと、心には届いてはいなかった。それは自分の「平和」へのストーリーを考えていたから。高校生の考えた平和へのスローガン「微力だけど無力じゃない」の自分の微力は何なのか?何ができるのか?式の間中、周りを見回しながら考え続けた。老人には老人の、政治家には政治家の、学生には学生の進むべき物語があるはず。自分の答えは明確だった。伝える事。物語を伝える事が自分にできる微力。
家に帰ると娘が走ってきて迎えてくれた。娘を抱き上げて僕は話し始める「ねえねえ、聞いてよ。ダッチは今日こんな事を考えたんだ。」
